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Timeworn Blog / 絵空つぐみによる雑文芸ブログです。移転しました → https://timeworn.blog

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「魔女と石 3」

「魔女と石 3」


 卵がはじけて焼ける音と、蒸気の香りがします。魔女は台所の様子を伺ってから、引き出しにしまった石を取り出しました。祖母が用意した巾着はズタズタに破れてしまいましたから、今は緑茶のおまけに付いていた化繊のものに代えられていました。そのちっぽけな事柄が、あの夜を現実だと伝えています。

 あれから少しの日付が経っていましたが、彼女は石に触れることを避けていました。それはつまり原稿が進まないということで、担当にはとても申し訳がなく思っています。しかし魔女は迷っていました。この石を使い続ければ、いつかまたあの姿になるかもしれません。次は何が起こるかわからないのです。

 台所の後ろ姿に、彼女は泣きそうな目をやりました。自分の顔や手指、乳房や膝頭、そういったものが失われるのは、まだ耐えられるでしょう。しかし、再びの孤独には耐えられそうもありません。傷つけ、嫌われ、そうなってしまえば、彼女はきっと石の魔力に沈み込んでしまうでしょう。確信がありました。

 できたばかりのオムライスを片手に、担当が顔を出しました。魔女はそ知らぬ振りをして石を片付けながら、メニューにぼやきます。「またオムライスなの」それはずっと昔からの得意料理なのです。彼女は悪態をつきながらも、真っ先にスプーンを手にとりました。その心をちりちりと暗闇が苛みます。

ーー

 食後、魔女は古い荷物箱を漁っていました。そこには家から持ち出した荷物が多少は残っていたのですが、参考になりそうなものはありませんでした。やはり実家に一度帰らねばならないでしょうか。あの石がどこから来たものなのか、一体何なのか、それを知らねばならないのです。

 担当には初め、取材旅行に行くと説明しました。あの石を使っていない今、執筆は進まず手詰まりの状態なのですから、それがまるっきり嘘ということもないでしょう。担当はそれを聞いて同行を申し出ましたが、魔女が渋々行先を告げると表情を変え、寂しそうに「行けないよ」と言うのでした。

 魔女はそれに何も言ってあげられませんでした。担当は、実家でも顔が知られています。振り返れば何年も前の話ではありましたが、手ひどい幾つかの罵りあいの原因となったこともあって、まだ受け入れられるような状態にはないようでした。魔女もまた、用事がなければ帰りたくはないのです。

 それでも魔女は知らねばなりません。あの赤と黒の石を御すること。あるいは石などなくても万物を描く力を得ること。それをもって、担当の笑顔に報いねばなりません。目の前の沈んだ顔に「らしくない」と伝えて、彼女は家に戻ることを決めました。魔女はそれから、帰りの日付だけを付け加えました。

ーー

 彼女の実家は、それほど遠くにはありません。何本か鈍行列車を継いでから、間隔の長い単線に揺られるくらいのところにあります。とはいえ彼女は、ここをまるで地の果てのように感じていました。点在する小山のほかは畑と防風林と家屋とが繰り返す上を、今日も雲がゆっくり流れていました。

 実家で迎えてくれたのは父親でした。彼女を見るなり、彼は少しだけ嬉しそうにはしてくれたものの、すぐに申し訳なさに表情は塗り潰されました。魔女は用向きを伝えます。資料として使うので、祖母の遺品を見せてほしい。前もって伝えていたこともあって、蔵の鍵は既に玄関に用意されていました。

「あの娘とは」父は言いました。「まだ一緒に暮らしているのか」魔女はその質問に失望を隠しませんでした。彼女は父を嫌っているわけではありません。しかし、それは何も変わっていないことを確かめるに十分な問いかけでした。父は慎重に言葉を下げ、夕食を用意するとだけ、代わりに伝えました。

 蔵の荷物は手付かずのままでした。魔女は砂埃に苦心しながらではありますが、一つ一つ箱を開けていきました。するうち、お守りが転がり出ていたことに気がつきます。彼女が手に取ると、それは知らない山のありふれたお守りでした。すぐに気づきます。先日破いてしまった巾着のものと同じ布目でした。

ーー

 翌日、魔女はその山へと向かいました。調べればすぐに見つかり、距離もさほど遠くないことは幸いでした。そこが当たりであることも、すぐにわかりました。山肌には一部に黒い断面があり、それはちょうどあの石と同じ欠け方をしていたのです。血の樋こそありませんでしたが、同種の鉱物でした。

 山が信仰の対象であったとか、そういったことに魔女は詳しくありません。いずれにしてもこの山には社があり、彼女はそこを訪れました。建物の空気感は執筆の良い刺激になりそうでしたが、そんな人並みの感想はすべて、最奥を訪れたときに吹き飛んでしまいました。そこには荒々しい木像がありました。

 木像と目が合って、魔女は無意識に石を握りました。心臓が鳴り、血が廻るのを感じます。骨盤の隙間がきゅうと動いた感覚に彼女はおののきながら、認めます。『おなじ、しゅぞくの、おとこが、いる』木像は古来の作法によるもので、天狗のような戯画の顔をしていました。しかしそれはあの時の獣でした。

 彼女は宙を漂う電話の煙に気がついて、我に返りました。「違う、私が好きなのは」スマートフォンの電波は、辛うじて届いていました。彼女は山を駆け下り、それからほうぼうの体で帰りました。彼女は後に山についての文献を多く調べはしましたが、生涯再び訪れることはしなかったといいます。
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